移民国家フランス
フランスは欧州でも、移民の数が一番多い国です。
驚くべきことに
今日現在、フランスの人口の10分の1が、移民です。
日本ではあまり馴染みがない移民ですが、、
「移民」とはフランスではドンナ人達の事?なのかというと。。
「フランス国外で生まれ、生まれた時に仏国籍を持っていなかった人々」です。
私の持っていたイメージは
貧しい国、政治的な問題で時刻に住めない人たちが、別の国に援助を求めて移り住むこと。
でした。。
先進国といわれる、日本で生まれ育ち、仏人相棒と普通に正式の手続きを踏んで、結婚したこの私は関係ないとおもっていたのですが、、
この私も「移民」になるワケです。
フランスに移り住んできた外国人は、協定がある欧米の国以外の外国から来た場合、、
日本人も、イスラム圏の国も、南米、アフリカ圏の人たちと同じ移民の立場になるんです!
当初私はこの事に、ピントきませんでした。
が、、、、
フランスで長期ビザを取得したり、諸々の手続きをするにあたり「アレ」なんか私「移民」なのと「?」実感が湧いてきました。
そして、改めて
なんだぁ〜、この括りだと、私も移民になるのかと、気がついた時
それは、驚きでした。。
写真:https://pixabay.com/
フランスの移民達のコト
移民が、かなり多くなったフランスでは、社会問題化していると言われていますが
犯罪に繋がったりして、大きな問題になるのは、
フランスに移り住んできても、社会に適応できない移民達が、コミュニティを作り、その街の地域の一角がスラム化して危険な区域になってしまし、犯罪の巣窟になってしまうこと。
そして、大問題なのは、移民の2世達がテロリスト化してしまうことでしょう。
この問題に解決策はあるのかと、誰もが思っている今の状況です。
それらは簡単な問題ではありません。
移民というと、、事件報道を聞いている限りあまり良い、イメージは持てないと、移民としてフランスに滞在している私も思います。
色々な国の移民
一口に移民といっても、フランスには、本当に色々な人達がいるんです。
少し前、私は移民達と一緒に、政府のフランス語の教室で、彼らと机を並べました。
それは、
私のように、仏人と結婚した外国人は、フランス語が話せない場合、長期滞在ビザを取るためには
仏政府主催の、フランス語の授業に参加することが義務付けられているんです。
、ビザを取るための義務でフランス語の学校に強制的に行かされる。訳です。。
そのフランス語の学校で私は、色々な国の移民達と、数ヶ月間一緒でした。
そして、色々な国から、フランスに移民としてやって来た人々を過ごすうちに、自分の持っていた、彼ら(政情の不安定な国や途上国といわれる国から来た人々)へのイメージが、、、
なんだか、メディアらか受けた印象とは結構違っていると思いました。
その教室の移民たちは半数以上、生徒が政治経済難民でした。
移民のクラスメイト達
印象に残っているクラスメイト達人は
チェチェン共和国の美人姉妹の一家
チェチェン共和国から、亡命してきた家族、お父さん、お母さん、子供二人の4人がいました。
お母さんの、家族への真心が周りにも伝わってくるような雰囲気で、2人の娘さん達が超可愛いらしく、心静かな人達でした。
命に関わるような大変な経験をしてきたようでしたが、とても慎ましく、暮らしていました。
オシャレなモロッコ移民
教室で一番オシャレだったのは、はモロッコから、やってきた男性の仕立て屋で、センスの良さはピカ一でした。
話を聞くと、モロッコでは、縫製工場で朝七時から十二時間労働をしていて、それは過酷な労働条件だったそうです。ある日買った宝くじが多たりで、それで一家の旅費をまかない、フランスに仕事を求めてきたそうです。
写真:https://pixabay.com/
芸人のようなロシア人2組
ロシアから来た、2人組の兄ちゃん達は愉快な人たちでした。
彼らがいると、場が楽しい空気に包まれたものでしたが、、世渡り上手というか、要領がよくて、毎回授業には30分遅く来て、30分早
く引き上げて行き、私はチョット呆れてしまいました。
裕福な家庭のイラン人夫婦
イランから来た一家は、やはり政治難民で40歳くらいのご夫婦でした。お国では結構いい暮らしをされていたようでした、、何時も教室のみんなに気を配り、差し入れを持って来たりして、下さいました。
他にも、色々な国移民
トルコ、アルメニア、カメルーンの国の人達と一緒でした。
彼らは人に何か、してあげる事が好きで、私がそれまで、持っていた、イメージとは全然違いました。
例えば
フランス人の教室の先生と、休憩時間コーヒーを飲みに行くと、、、
女性だというコトで、絶対に彼らが代金を持ち回りで払ってくれ、私が自分の代金を払おうとすると、
「イヤ君はいいからと、、」言って。いつも、飲み物をご馳走してくれたものでした。
クリスマスの会では、
家で作った美味しご馳走を、持ってきてくれ、、素敵な良いものを交換プレゼントにも持ってきてくれました。
数ヶ月、彼らと一緒に過ごして思ったのは、、、
美味しい物、美しい物、心地良い物事が好きで、豊かさと云う物を、ある意味、私たちよりも知っているのかも知れないと、、思えました。
彼らはそれぞれの国で、快適な暮らしをして来た人達なんだなと、、
そして、例え自分の国を離れても、快適な暮らしを続けていく、才能が有るところが素晴らしいなと思いました。
しかし、こうして一緒に過ごす機会がなければ、知らなかったことでした。
彼らが、
うまく、フランスでそれぞれの、居場所を見つけてくれる事を、
心から祈るばかりです。
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