小さな奇跡の物語り—はじまり—
フランスの世界遺産、モンサンミッシェルに詳しい、NHKのテレビ番組「地球探訪」の番組プロディーサーでさえ、、
出来栄えに「驚いた」モンサンミッシェルの実物の500分の3の模型があります。
藤田洋子さんが、4年の時を掛けてお一人で製作されたものです。
この大掛かりな世界遺産の模型を、多くの難関を超えて、フランス本国の寺院に設置して現地で熱烈歓迎されたプロジェクトの物語です。
この全ての事を自分たち力で成し遂げた日本人夫妻のお話。
現地フランスのモン・サン・ミッシェル寺院で奉納後の、お披露目のインタビューの席では、各関係者、寺院僧院並びに仏報道機関が集まり、大盛況でした。
今では、モン・サン・ミッシェルに巡礼に訪れた人々が、巡礼前日に道順を眺めたりすることが出来るようになり、観光客、巡礼に来た人々達からも感謝されています。
それは洋子さんが自宅で製作した、モン・サン・ミッシェルの3/500の陶器製の精巧なジオラマ(ミニチュア)でした。
自宅の静岡県から、約一万km離れた、フランスのモン・サン・ミッシェルまで送り届けられた、夫妻の殆ど奇跡に近い物語。
4年もの歳月をかけて、毎日コツコツと作業を続け、壮大な世界遺産モンサンミッシェルのジオラマを一人で完成させた、藤田洋子夫人。
藤田さん旦那様の、驚きの実務的総合能力での、フランス現地に寄贈するためのアプローチ。
業者に頼めば仏像など美術品扱いになる難易度の高い、ジオラマの梱包と発送を自分たちの手で成し遂げました。
恐ろしい程難しい状況対をくぐり抜けて、当地の寺院にて設置するまでの全ての事を、藤田さん夫妻が個人で手配し、成し遂げられた事は「もはや小さな奇跡」といえるでしょう。
藤田さん製作ジオラマは、実物モンサンミッシェルの500分の3
藤田夫妻との出会い
2016年のある夏の日、南仏西部のナルボンヌという街の駅で、私が列車に乗り込むと、日本人夫妻がそこに、いらっしいました。
「日本の方ですか?」と私が話しかけ、少しお話をして、お別れした、、それだけの事でした。
それが
その後メール交換して、お二人の話を伺って、私は驚きました。
その訳は、、
「こんな風に、、、、、物事に取り組めるスゴイ人たちが世の中にはいる物?」
と、思うような、大きなプロジェクトに、夫妻で挑まれている所だったからです。
人物紹介
藤田洋子さん
モン・サン・ミッシェルの陶器の模型を約五年掛けて制作したご当人。パターンナーとしてメーカーで洋服の型紙を長年製作。計算能力と緻密な技術が必要とされる職業。知性を持つエレガントな方。
藤田雅己さん
光学機器を扱う大企業で、管理職を勤め退職後も、海外旅行を楽しむ行動派。在職中は様々な大プロジェクトに携わり、幅広い人脈を持つ。、様々な人に慕われるユニークな個性の持ち主。
筆者の私
南仏西部の小さな村で宿を営み、観光ガイドをしている在仏7年になる。
プロフィールはコチラ
このブログのために、お二人に幾つか質問をさせて頂いた所、大変詳しくお答え頂きました。
それらを、今回の記事に、まとめさせて頂きました。
洋子さんからの手紙
スペイン国境近くの、南仏西部を走る電車で、、、
初めてお二人にお会いして、何となく私が話しかけて、自己紹介のような会話しただけでした。私の降りる駅に着くまでの30分程の間でした。
その後、私のブログに藤田夫妻のプロジェクトの記事を書かせて頂く事に決めて、幾つかの質問をさせていただいた所、洋子さんから全ての事を始めから語られた、お手紙を頂きました。
コチラは、そのお手紙からのお話です。
出会いと生まれた想い
私は、中世の街並みが残っているヨーロッパが大好きです。歴史があり、街を歩いていると、色々な想像を醸し出してくれます。
今から20年程前にツアーでモンサンミッシルに行きました。
ライトアップされたモンサンミッセルに惹かれ、ツアー仲間から抜け出し、懐中電灯を照らしながら、畦道を歩き続けました。
歩いても、歩いても、近くに見えた筈のモンサンミッセルに、なかなか辿りつきせん。
昔は道などなく、潮が引いた時に人々は渡ったのでしょう。ここは潮の流れが大変早く、多くの巡礼者が亡くなったと聞いてます。
死を目の前にした時、どんな思いだったのだろうか?
信心深い巡礼者はここが、危険とわかっていてもここを訪れる。それだけ引き付けるものがある所なのでしょう。
大きな教会の中は、十字架があるだけで他の教会のような装飾はありません。ステンドグラスも簡素です。
それだけに荘厳と威厳を強く感じ、ここは祈りだけの場で、やたら足を踏み入れてはいけないような、気持になりました。
そして、モンサンミッセルに私は魅了されました。
そして、時は流れて
パターンナーの仕事を退職後、新しいジャンルに挑戦したいと、ミニュチュアハウスを作り始ました。
モノづくりが好きな私は、「何か形になるものを、残しておきたい」と考えるようになり、
長年心に残っていた、モンサンミッセルのジオラマを、作ることに挑戦してみようと、思いたちました。
そして、資料集めに再び、渡仏しモンサンミッセルを訪れました。
ジオラマ製作開始
私は、昔ファッション雑誌を見て、それと同じ服を作る、という仕事をしていたので、「写真を見れば立体化できる。という
自信があり」建物の写真をたくさん撮りました。
現地で、ラッキーなことに紙で作る模型のキットが売られていて、それは、実物の1/500のサイズだったので3/500にするのと粘土の収縮率を計算し、自分でしか理解できない図面を引いて、これを頭にいれ、作り始めました。
作業のシュミュレーションを何回もして、短時間で作り上げていけるよう考えました。
実際の制作段階の過程では、モタモタしていると、素材の粘土の収縮が、始まり、「大きさが変わり、ヒビも入って来る」ので乾かないように工夫が必要でした。
ジオラマは「全部で63の小さなパーツ」から出来ているのですが、
又季節、天候など、環境の状態により変化するので、1パーツを作るのに1週間~10日かかりました、
①乾燥後に焼く
②窯の中で冷やしてから、取り出し、
③釉薬を塗り再び焼く
という作業工程で、全部で63パーツを4年かけて作りあげました。
フランスに到着した洋子さんの作品63パーツの箱。
気楽な気持ちで作っていました。
少しづつ形になっていくうちに毎日モンサンミッセルを旅している気分になりあっという間に4年が立ち、そして、その後、更に2年の月日が流れました。
続く
続きは、この藤田さんのジオラマが「どうやって!モンサンミッシェルの僧院に辿りついたのか?」というお話お楽しみ!!
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